最低賃金1,500円時代を生き抜く、中小企業の生き残り戦略

「最低賃金がまた上がるらしい」「パートの時給を上げたら、正社員の給料も見直さないといけないのでは」——ここ数年、こうしたご相談を本当によくいただきます。実際、顧問先の社長からは、ここ4〜5年の間に「人さえいてくれれば」という言葉を、数十回どころではないくらい聞いてきました。それだけ、人手の確保と人件費の負担が経営の中心テーマになっているということだと思います。
当事務所の顧問先様は70%以上が黒字経営を実現されていますが、その多くが人件費の上昇を「一時的な逆風」ではなく「前提条件」として経営計画に織り込んでいます。今回は、最低賃金1,500円時代を見据えた中小企業の現実と、人件費高騰を乗り越えるための「価格転嫁」と「財務戦略」について、実際に経営者の方々とお話ししている内容をベースに解説します。
このコラムでわかること
最低賃金は政権が変わってもペースが緩むだけで、2030年代前半には全国平均1,500円に到達する見通しです。パート・アルバイトの時給アップは正社員の給料にも波及し、会社全体の総人件費を底上げします。特に現場作業が中心の建設業・製造業・BtoC業態は、AIや機械化での代替が難しく、影響を直接受けやすい業種です。こうした人件費高騰を乗り越える道は、根拠のある適切な値上げ(価格転嫁)にあり、試さずに諦めてしまうのはあまりにもったいないといえます。あわせて、人を増やさず外注化を活用することで、固定費リスクを抑え、売上の変動に強い経営体質をつくることも可能です。
最低賃金はいつまで上がる?中小企業が知っておくべき引き上げの全体像

最低賃金の引き上げが経営にどう影響するかを考える前に、まず「この流れがいつまで続くのか」を正しく把握しておく必要があります。「そのうち落ち着くだろう」という見方は、正直あまりおすすめできません。
政権が変わっても止まらない「1,500円時代」への流れ
最低賃金の大幅な引き上げは、急に始まった話ではありません。以前の内閣から「2020年代のうちに全国平均1,500円」という目標が掲げられ、そこから毎年おおむね6%前後のペースで引き上げが続いてきました。この方針は現在もそのまま引き継がれています。
そして直近では、このペースがやや緩められ、次の引き上げ幅は全国平均で4.8%程度になる見込みです。急激すぎる人件費負担に「さすがについていけない」という声が広がったことを受けての調整だと考えられます。
ただし、ここで大事なのは「ペースが緩んだ=流れが止まった」わけではないという点です。目標達成の時期が2020年代末から2030年代前半へと後ろ倒しになっただけで、最終的に最低賃金1,500円に到達するという方向性そのものは変わっていません。
政権や制度に対して不満を言っても、経営状況が良くなるわけではありません。「人件費は上がり続けるものだ」と腹をくくり、その前提で商品・サービスの価格設定や利益計画を組み立て直すことが、遠回りに見えて一番の近道です。
パート・アルバイトの時給アップが「正社員の給料」にも波及する理由
最低賃金の引き上げは、時給で働くパート・アルバイトだけの話だと思われがちですが、実際には正社員の給与にも直結します。
パート・アルバイトの時給が上がり続ければ、いずれ正社員を時給換算した金額とほとんど差がなくなってしまいます。そうなると、正社員側から「なぜ責任の重さが違うのに時給がほぼ同じなのか」という不満が生まれ、離職につながりかねません。結果として、正社員の基本給も見直さざるを得なくなり、会社全体の総人件費が底上げされる、という構造になっているのです。
つまり最低賃金の引き上げは、パート比率が高い会社だけの問題ではなく、正社員中心の会社にとっても人件費上昇の引き金になる、ということを押さえておく必要があります。
建設業・製造業ほど直撃? 業種によって異なる人件費インパクト

人件費高騰の波はすべての業種に及んでいますが、特に影響が大きいのは「現場の人手」に頼らざるを得ない業種です。
AIや機械化だけではカバーしきれない「現場」の存在
事務作業や情報処理の分野ではAIによる効率化が急速に進んでいます。しかし、建設現場での施工作業や、製造業の工場内でのライン作業は、人が現場に立たなければ成り立ちません。工場であれば設備投資によって省人化を進める余地はありますが、建設現場は依然として人の手による作業への依存度が高いのが実情です。
飲食店などのBtoC業態でも、一時期は配膳ロボットなどが話題になりましたが、現時点ではまだ人の手による接客・調理が主流であり、人件費上昇の影響を直接受けやすい業種だといえます。
建設業・製造業ほど、人を確保できるかどうかが会社の競争力を左右する時代になっている、というのが現場に近いところで経営者と接している実感です。
「賃上げをためらう」か「先手を打つ」か——人手不足への向き合い方
人手不足に直面したとき、経営者の対応は大きく2パターンに分かれます
| 対応パターン | メリット | デメリット・リスク |
| A. 賃上げをためらう | 短期的には人件費コストを抑えられる | 既存社員の離職や採用難を招き、事業縮小・受注機会の喪失につながりやすい |
| B. 先手を打って賃上げする | 人材が定着し、案件受注や店舗運営を維持しやすい | 人件費という固定費が増え、目先の利益率は圧迫される |
経営者としては「賃上げをして固定費が増えるのが怖い」という葛藤があって当然です。ただ、賃上げを渋った結果として社員に辞められてしまえば、そもそも仕事自体を回せなくなってしまいます。実際に顧問先の社長様には、「最低賃金の引き上げを機に給与を見直さず、その後で社員に辞められてから『上げておけばよかった』と後悔するのか。それとも、あらかじめ上げておいて長く働いてもらう方を選ぶのか」というお話をすることがあります。答えは、多くの場合はっきりしています。
つまり大事なのは「賃上げをするかしないか」ではなく、「賃上げをした上で、いかに利益を残す構造を作るか」に頭を切り替えることです。
人件費高騰を乗り越える唯一の道「適切な値上げ(価格転嫁)」

人件費という固定費が増えていく以上、会社が生き残るための道は、突き詰めれば「適切な値上げ(価格転嫁)」を行うこと以外にありません。
「値上げできないから廃業」はもったいない
ニュースなどで「人件費や原材料費の高騰に価格転嫁が追いつかず廃業」という事例を見かけることがありますが、正直なところ、非常にもったいないと感じています。
「価格を上げたらお客さまが離れてしまうかもしれない」という不安から、値上げを一度も試さないまま廃業を選んでしまう経営者様が少なくありません。試した上でうまくいかなかったのであれば理解できますが、試す前に諦めてしまうのは早すぎます。
お客さまは、実は思っているより値上げに理解がある
多くの経営者様が心配しているほど、実際にはお客さまは価格改定に強く拒絶反応を示すわけではありません。これは、日々さまざまな業種の顧問先様とお話しする中での実感です。
世の中全体がインフレ傾向にあり、あらゆるコストが上がっていることは、消費者側も十分に理解しています。もちろん理由のない便乗値上げは論外ですが、「事業を成り立たせるための適正な改定」であることをきちんと説明すれば、納得していただけるケースがほとんどです。実際、料金改定を行った顧問先様からも「思ったよりクレームが少なかった」という声をよく聞きます。
一番避けたいのは「量を減らすステルス値上げ」
価格改定を行う際に、最も避けていただきたいのが、価格を据え置いたまま内容量やサービスの質を落とす「実質値上げ(いわゆるステルス値上げ)」です。
顧客の立場から見れば、いつの間にか商品の量が減っていることほどガッカリするものはありません。加えて、会計的な観点からも、仕入れや原価の計算がしづらくなり、数値管理があいまいになるというデメリットがあります。利益を確保したいのであれば、ごまかさずに堂々と適正な価格改定を行うべきです。
必要利益から逆算する、リスクの少ない値上げの進め方
「どれくらい値上げすればいいのか」と迷ったときは、次の手順で考えるのが最もリスクが少なく、経営者ご自身も納得しやすい進め方です。

ポイントは、余分に儲けるための値上げではないということです。増えた人件費を含めて、これまでどおり事業を成り立たせるために必要な利益を算出し、そこから逆算して値上げ幅を決める。この考え方であれば、経営者ご自身も自信を持ってお客さまに価格を提示できます。実務上は、一気に大きく値上げするのではなく、少しずつ価格を調整しながらお客さまの反応を見ていく進め方をおすすめしています。
人を増やさない戦略——固定費化を防ぐ「外注」という選択肢

人件費高騰への対策は、値上げだけではありません。「社員を直接雇う」以外の選択肢を検討する余地も十分にあります。
社員雇用(固定費)と外注活用(変動費)を比較する
事業を拡大する際、すべてを自社の社員でまかなおうとすると、人件費という大きな「固定費」を抱え込むことになります。ここで有効な選択肢のひとつが、専門業務を外部に委託する「外注化」です。
| 比較項目 | 社員を直接雇用する | 外注(アウトソーシング)を活用する |
| 費用の性質 | 固定費(売上が減っても毎月発生) | 変動費(案件や売上に応じて調整可能) |
| 利益率 | 高くなりやすい | 外注費が上乗せされる分、低くなりやすい |
| 経営リスク | 社会保険料の負担や採用・解雇の難しさから、リスクは高め | 事業規模に合わせて調整できるため、リスクは低め |
| 向いている場面 | コア業務を自社で磨き上げたい場合 | 売上の波が大きい業種、専門性が高く常時雇用のコストが見合わない業務 |
実際、周囲の経営者仲間の中にも、あえて社員を増やさず外注を積極的に活用している方もみえます。不動産業を営むある経営者は、社員をほとんど雇わず業務のほとんどを外注に出しています。その分、自社で内製する場合と比べると利益率はやや下がりますが、売上の増減に対する耐性が高く、経営が安定しやすいというメリットがあります。
「利益率は下がっても安定を取る」という考え方
自社で社員を抱えれば、粗利率や利益率は高く維持しやすくなります。しかし、売上が落ち込んだ場合でも人件費は発生し続けるため、財務的なリスクはどうしても高くなります。
あえて自社の社員数を増やさず、外注化に振り切ることで、利益率は多少下がったとしても「売上の変動に強い、安定した経営体質」をつくることができます。すべての業種に当てはまる考え方ではありませんが、業種や事業フェーズによっては、非常に有効な財務戦略のひとつです。
まとめ:人件費上昇を「前提」にした経営計画で、安心できる経営へ

最低賃金の引き上げや人件費の高騰は、中小企業にとって厳しい試練であることは間違いありません。しかし、恐れるのではなく、費用を正しく整理し、必要な粗利から適切な価格を設定するという基本を徹底すれば、十分に乗り越えていくことができます。
- 人件費アップを前提とした利益計画に作り直す
- ステルス値上げではなく、根拠のある堂々とした価格改定を行う
- 自社雇用と外注化をバランスよく組み合わせ、固定費リスクを抑える
当事務所では「松原会計式 月次決算書」を用いて、経営者様が人件費アップに負けない強い財務体質を築けるよう伴走支援を行っています。



